スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

これからの「共和主義」の話をしよう:補足と訂正

 先の拙稿を読み返してみて、この議論への若干の補足および訂正の必要性を覚えた。どうも私も、小林正弥の概念の乱用に振り回されてしまい、「共和主義思想」と政体としての「共和主義」を混同していたようだ。
 改めて小林正弥の見解を確認しておこう。『サンデルの政治哲学』での該当箇所は、先の拙稿を参照いただくとして、前著『友愛革命は可能か』から、以下引用する。

(前略)共和制や共和国という言葉は、国王のない国家を意味するから、日本では共和制は天皇制の廃止を意味することになる。しかし、共和主義は、王制否定の思想に限定されているわけではない、その語源は「公共的なるもの(レス・プブリカ)」から来ており、「公共主義」と訳すことも可能である。だから、共和主義という概念は、自治のために政治参加を美徳と考えて称揚し、専制を回避するための制度的工夫(混合政体論)を行うことを意味する。
 近代において共和主義が王権否定の思想となったのは、王権や貴族が私的利益を追求して公共善を侵害したから、それを打倒して自己統治(自治)の政治を作ることが公共善の実現につながると考えられたからである。しかし、歴史的には、共和主義は必ずしも王権を全面的に否定したわけではなく、専制的王権には反対しながら王権の存続を認めて議会制の確立と自己統治を主張するような場合も存在した。
 私は、共和主義の歴史的展開を「古典的共和主義(ギリシャ、ローマ)、古代的共和主義、中世的共和主義、近世的共和主義、近代的共和主義」と区分し、近代的共和主義が王権を否定する思想であるのに対し、近代への過渡期において王権の存在のもとで議会政を導入して混合政体を主張した思想を「近世的共和主義」と呼んでいる。日本では、明治以来、共和主義的な思想家でも、中江兆民や植木枝盛も含めて多くの場合、天皇制の存在は容認しつつ議会政[筆者注、原文ママ]や自治の確立を主張してきたから、その多くはこの近世的共和主義のカテゴリーの中に入る。
(中略)
 だから、大きく言えば、横井小楠らにはじまった幕末議会制論が、明治維新後に多くの紆余曲折を経て、議会の開設と政党内閣へとつながっていったことになる。これは、天皇制の存在を前提にしているから、近代的共和主義ではないが、幕府という権力を倒して議会政治への道を開いたという点において、近世的共和主義の系譜をここに見ることができるだろう。明治維新は「近世共和主義革命」と考えることができるのである(pp.188-190)。


 さて、本稿で引用した箇所で小林正弥は、「近世的共和主義」という概念を、まず「近代への過渡期において王権の存在のもとで議会政を導入して混合政体を主張した思想」と定義している。従って、ここでの「近世的共和主義」は思想の問題であって、政体の問題ではないことになる。
 ところが続く箇所では、議会政治の確立をもって明治維新が「近世共和主義革命」と位置づけられている。つまりここで、「近世的共和主義」は思想上の問題から政体の問題へと飛躍しているのである。先の稿で私は、「共和主義者がいれば共和制であるわけではない」と書いたが、これは小林正弥の論理の飛躍を見抜けなかった私の不明による、概念の混同であった。ここでは「共和主義者がいれば共和主義思想が存在したと考えることはできるが、それは必ずしも共和政体の確立に繋がるものではない」と述べるのが正しかった。

 従って、あるいはここで、日本近世における共和主義思想の萌芽が明治維新という政治変動によっては必ずしも成果をあげえず(注1)、むしろ安田浩が近代天皇制を定義したような一種の専制君主制のもとで、機能不全を起したと論ずるならば、理論的には理解できる。もっともこの場合、わざわざ「近世的共和主義」などという区分を創り出す必要はなく、ただ「共和主義」とのみ記述すればよいだろう(注2)。
 だが小林正弥は『サンデルの政治哲学』において、むしろ「日本の『共和主義』は天皇制のもとで展開してきたし、近未来もそうであろう」と述べ、それこそが「近世的共和主義」なのだとしている。
 「展開」とは時に便利な言葉である。確かに一種の共和主義ないしその萌芽とみなせる思想が、近世から近代にかけての日本には存在したかもしれない。だがそれが、安田浩の述べる「究極において君主個人の意思が制度的なものをおさえて国家意思として妥当する統治の形態」たる専制君主制=天皇制のもとでたわめられ、王権の打倒ではなくむしろその構造の中に限定されて部分的な機能しか果たしえなかった(そして現在でも果たしえていない)ことを、「天皇制のもとで展開してきた」と表現し、また「近未来もそうであろう」と予測することは、王権と共和主義思想ないし共和主義者との間にある、不可避の葛藤をあまりに軽視しすぎた、雑駁な把握ではないだろうか。

 小林の述べる日本の「混合政体」とは、言うなれば政治的妥協の産物である。もちろん現実政治において妥協は必然であるが、それゆえそれは思想そのものとは異なるものであるし、また現実を追認して肯定する程度の機能しか果たさないのならば、そもそも思想は不要である。「政治哲学」ないし「公共哲学」を奉ずる小林正弥が、実際の近代史の中で「天皇制のもとで展開」した日本における共和主義思想を、そのまま「近世的共和主義」と名づけることで全肯定することは、思想自体の自殺である。少なくとも『非戦の哲学』で、アフガニスタン戦争への参戦を、憲法を政府自身が踏みにじった「政府クーデター」であり、「立憲主義の自殺」であるとして(p.109)、「このような異常事態を黙認するような憲法学者や法律家は、極言すれば存在の意味が少ない」と述べていた(p.111)人物の言動としては、理論上の整合性を欠いていると言わざるを得ない。

 小林の「近世的共和主義」概念とは、いまだ天皇制の問題を剔抉できずにいる近代日本の思想を最終的に合理化するものである。しかしそのような働きをする思想は、小林自身がかつて述べていたように「存在の意味が少ない」。せいぜいが、時としてサンデルを消費するような中間インテリ層の、ひとつの自己慰安に役立つ程度のものであろう。現実的には、ただ現状維持の(非)行動があれば天皇制は残存し続けるのだから、わざわざそれを理論的に合理化したがる層など、そんな一握りの集団としてしか存在しまい。
 先の稿で述べた、小林正弥が政治的オルタナティヴのメイン・ストリームになりきれない理由は、このようなところにもあるのではないだろうか。



(注1)ところで小林正弥は、坂本龍馬や西郷隆盛など明治維新の「英雄」たちの思想と行動に随分と思い入れがあるようだが、彼らの思想が帝国議会開設につながったものとさえ、果たして言いうるだろうか。思想や文言の都合のよい箇所をつまめばそうした見解も導き出せるかもしれないが、帝国議会の開設は1890年、明治23年のことである。さらに政党内閣の誕生は、小林も記述していることだが、19世紀末となる。はたして四半世紀以上も前の、それも坂本龍馬のように明治政府の確立を見ることなく死亡した人物や、横井のようにやはり維新後まもなく暗殺された人物、また明治政府確立後に権力争いに敗北し下野した西郷隆盛らの発言や活動をもって、それが議会制の確立に「つながって」いると考えることは、思想史的、哲学史的に可能であろうか。
 たとえば自由民権運動ひとつをとってみても、それは幕末期から頻発し、維新後には増加しさえした民衆蜂起(いわゆる「一揆」ないし「打ちこわし」など)や、それに加えて発生した士族反乱などの衰退と入れ替わるように立ち上げられて活性化したものである。また、帝国議会開設には、列強国入りを果たすための政体上の体裁を整える必要が政府側にあったことも見逃せないだろう。
 小林正弥の思想史の記述には、いわゆる中間インテリ層の自称「歴史好き」が思わず注目するような有名人(いわゆる「英雄」)の名前は頻繁に登場するが、社会を様々な要素の複合した動体として立体的に把握する、科学的な視点は決定的に欠けている。このような特徴は、小林がサンデル・ブームを「大衆社会の中の知的なオアシス」と位置づける知的エリーティズムや、その知識を現実的には雑駁にしか活用できない致命的な社会性の無さと無関係ではあるまい。

(注2)思うに、合議制的な側面のある思想をすべて「○○的共和主義」などと名指すから、議論が乱脈で雑駁なものになるのである。
スポンサーサイト

これからの「共和主義」の話をしよう ―小林正弥とともに、鳩山由紀夫は抜きで―(3)

 この小林の、大変にユニークな「共和主義」認識を支えているものこそ、第二の問題である。
 350ページ以上もある新書で、アメリカの政治学者の思想的系譜を論じておきながら、それと日本における文脈との相違を「地域の個性や必要性」に帰着させる議論に、私は何やら懐かしささえ覚えた。ここに見られるのは、ヨーロッパにおける史的発展段階を普遍的なものとみなす西洋中心主義を批判することで、逆に自国の君主制の存在については地域的・文化的特性として擁護するという、文化相対主義的なポストモダン型保守主義の周回遅れの姿である。小林正弥がポストモダニズムを批判しながら、実際には極めて悪しきポストモダニストであるということは以前に述べたが、やはりここでもその通りである。
 もっとも、ここまで「地域の個性や必要性」が重視されるのならば、世界のどこにでも「コミュニタリアニズム公共哲学」が見出せるのではないだろうか。たとえば氏が言下に切って捨てていたような、世界各地の「マルクス主義的な運動」は、独自に新たな政治的共同体を志向したものと捉えることができようが、しかしにもかかわらず、どうやら「公共哲学」には入れてもらえないようだ。おそらく小林にとってそれは、論理的に受け入れられないものである以前に、「魂が震えるような感動」をもたらさないものなのだろう。

 また、この共和制と君主制が結合した「近世的共和主義」なるものが、「新共和主義」、あるいは「公共主義」なる新概念へと「発展」するという議論にも、やはり懐かしさを覚える。確か江戸時代が既にポストモダンであったとか、したがって近代化を十分に成し遂げていない日本は近世から後期近代への以降がかえって容易にできたのだとかいう議論がかつて一部で流行っていたように記憶しているのだが、ここでも小林正弥の見解は、そうした日本的な俗流ポストモダニストたちのそれに限りなく接近してしまう。
 さらに言うならば、『友愛革命は可能か』においては、「共和主義の歴史的展開」が、「古典的共和主義、古代的共和主義、中世的共和主義、近世的共和主義、近代的共和主義」と、クロノロジカルに示されていたのに対し、『サンデルの政治哲学』においては、その歴史的発展段階の軸が棄却され、むしろ段階的な区分そのものが解体されて、時間の中をさまようような、ポストモダンな歴史認識へと展開を見せているのも興味深い。だがこうしたことは、自らがポストモダニズムに批判的であると考えている小林自身には、決して意識されていないことだろう。
 そういえば小林は、かつて『非戦の哲学』で、坂本龍一に対し非常に好意を示していたが(pp.195-196)、いっそのこと中沢新一あたりと研究プロジェクトを同じくしたら、大いに意見が一致するのではないだろうか。

 小林のような、相対主義と新進性の希求の併存は、ポストモダニズムについての理論家である哲学者、フレドリック・ジェイムソンが、おそらくは幾分シニカルに指摘した、理論上のパラドックスに見ることができる。
 ジェイムソンは、ポストモダニズムはどのようなレトリックを用いても、結局のところ「差異」とともに、「新しさ」という極めてモダンな概念に依拠せざるをえない矛盾を抱えていると述べている(注5)。それは“ポスト”という形で自らをモダニズムから歴史的に区切らざるをえない語法に、顕著に表れているだろう。

 小林は、「地域の個性や必要性」を重視するそぶりによって天皇制を肯定的に評価しながら、同時にそれを、無理やりにでも普遍的な概念のもとに位置づけざるをえない。それも、自らの「公共哲学」に従い、「共和主義」の一形態としてでなければならない。立憲君主制では主権者が天皇になってしまうので、それを「民意によって成立した」内閣が「主権在民の原理」によって「利用」する根拠自体が消失してしまうからである。また、より単純な問題として、しばしば保守的な論客によって近代日本史全般の肯定ないし合理化の文脈と結びつけて論じられるケースのある近代天皇制=立憲君主説をとりたくないのかもしれない。
 しかし一方で小林は、天皇制批判の立場をとることによって、自らを革新勢力に位置づけることも決してしない。むしろ、天皇制の肯定的評価を革新的議論として提示するために、自らが「旧弊的」とみなす認識(端的に言えば反天皇制)を覆す新たな概念として、新しい政体の概念を生み出そうとする(注6)。もっとも同時にそれは、旧来の普遍的な概念にも接続されていなければならない。そうでなければ誰かにその価値を伝えることができないからである。
 かくして天皇制を文化的差異として肯定しつつ、新しい共和制という論理のもとにそれを位置づけるという大変にアクロバティックな論理展開が出来する。本来、地域ごとの文化的相違を強調するならば、「国境を越えた」だの「地球時代の」だのといった普遍主義的なロジックを用いなければよいのだが、それでは自分が保守主義者であるか、あるいは知的でないとみなされてしまうと考えているのかもしれない。

 だが、本当はそのような心配はいらないのだ。小林正弥は今でも十分に保守的であるし、またとうの昔に論理的思考という意味での知性からは離れてしまっているからだ。後者については、前著で「科学の限界」の自覚や「不可視の超越的な世界の存在を信じている」人物に対し、極めて高い評価を下していたことを思い出せば事足りるだろう。
 小林正弥がサンデルの紹介者として名を売り、一定の支持を得てもなお、保守的ポストモダニズムの反知性主義的風潮の中でメイン・ストリームになりきれないのは、おそらく氏があまりに正確に自らをプレゼンテーションしてしまっているがゆえに、その造語・造概念の乱脈さが顕著に表れてしまい、政治的オルタナティヴになる以前に、まさにポストモダニズムが寿ぐ差異の一つとして個別に消費されてしまうからである。
 そこでは小林正弥のサンデル論を好んで読みながら、同時に彼が批判する政治思潮を支持することも可能になる。そして実際、両者の現実的な議論において、それほどの開きはないのである。



(注5)『近代という不思議 現在の存在論についての試論』こぶし書房、2005年、pp.11-12

(注6)このことをある知人に話すと、「『天皇制』という概念はコミンテルンがつくったから間違いだ、とそのうち言いだすんじゃないか」という応答が返ってきた。ありそうな話ではある。一昨年末から昨年末への論理の展開を見ていると、本年末にはそうした発言があってもおかしくないと思えてくる。この意味でも小林正弥は、今後の動きから目が離せない「政治哲学者」であろう。

これからの「共和主義」の話をしよう ―小林正弥とともに、鳩山由紀夫は抜きで―(2)

 さて、それではそろそろ『サンデルの政治哲学 <正義>とは何か』における、小林正弥の政治的見解がもっとも色濃く表れた部分の検討に入ろうと思う。以下、氏の文章をそのまま引用する。

コミュニタリアニズム公共哲学は、その地域の個性や必要性に応じて展開するから、日本の公共哲学とアメリカの公共哲学がまったく同じである必要もない。例えば、共和主義的公共哲学も、アメリカと日本とでは、これまでも異なった形で展開してきたし、今後も相違は残るだろうと思われる。アメリカの共和主義はイギリスからの独立後には王権がない共和国において発展してきたのに対し、日本の「共和主義」は天皇制のもとで展開してきたし、近未来もそうであろう。そこで、私は、王権のない「近代的共和主義」と区別して、そのような共和主義を「近世的共和主義」と呼び、今後も「新共和主義」ないし「公共主義」として発展させることを主張している(p.344)。

 小林が天皇制を特に批判していないのは認識していたが、どうやらここで我々は新たな次元へと導かれているようだ。論点は多々あることと思うが、ここではおおむね二点に絞って考えてみる。

 第一に、日本の「共和主義」が天皇制のもとで展開してきたという、政治学者も歴史学者も驚くべき説がここで披露されていることに注目すべきだろう。
 小林は本書中において、日本でこれまで政治哲学研究が進まなかった理由として、「『明治時代には、政治哲学を研究すると、すぐに主権とか天皇制の問題などに触れてしまうので、その危険を避けた』という説が有力」としており、また戦後においても、その「学問的伝統が影響を及ぼしている」と述べている(p.31)。すると近代以降の天皇制は、小林の推奨する「公共哲学」の発展をも阻害していたことになるはずである。だが小林は、むしろ天皇制のもとで「近世的共和主義」が展開してきたと評価しているようだ。

 小林は既に、前著『友愛革命は可能か』で「近世的共和主義」なる概念を登場させていた。
 小林によれば共和主義は、「専制を回避するための制度的工夫を行うこと」であり、「近代において共和主義が王権否定の思想となったのは、王権や貴族が私的利益を追求して公共善を侵害したから」であるとして、歴史的には「専制的王権には反対しながら王権の存続は認めて議会制の確立と自己統治を主張するような場合も存在した」ということになる(p.188)。
 そして小林は、「共和主義の歴史的展開を『古典的共和主義(ギリシャ、ローマ)、古代的共和主義、中世的共和主義、近世的共和主義、近代的共和主義』と区分」して、明治以来の日本には、天皇制を容認しつつ議会制や自治の思想を進めてきた思想家がいるため、明治維新は「近世共和主義の革命」であったと位置づけているのである(p.189)。
 だが、一般的には王権と議会制の並立は「立憲君主制」と呼ばれるのではないだろうか。明治以降の天皇制を立憲君主制の一形態として捉える議論があることは知っていたが、こうなると小林の議論はそれをも超越していることになる。しかも今回の『サンデルの政治哲学』は、この共和主義を「天皇制のもとで展開してきた」と明確に記述している。
 今や小林は、明治維新による「王政復古」以降、日本は基本的に天皇制を基礎とする「共和主義」国家であったと考えているようだ(注3)。だが、当たり前のことだが、共和主義者がいれば共和制であるわけではないし、議会があれば共和制であるわけでもない。小林はサンデルの議論を紹介して「知と美徳のルネッサンス」などと言っている場合ではない。この極めてユニークな自説について、史的・哲学的な厳密さをもって説明する責務がある。

 私の拙い知識よりは、ここで近代天皇制の政治史を専門とする研究者の意見を聞いてみるのがいいだろう。試みに安田浩『天皇の政治史』(青木書店、1998年)を紐解いてみる。

近代天皇制は、成立当初の太政官制のもとで、法的制約をもたない専制君主制として始まり、憲法と議会を成立させて立憲制的形態をとりながら、最後には憲法上の立憲主義的規定―――国務大臣輔弼、国民利害の代表機関としての議会、その立法権など――をまったく形骸化させた、事実上の専制君主として終焉を迎えたこととなる。また明治憲法体制のもとでは、親政的権力行使は否定されておらず、実際、限定された形ではあるが重要な権力行使が実施されたことも、本書でふれてきたとおりである。「君主専制」という概念を、厳密な意味で、つまり究極において君主個人の意思が制度的なものをおさえて国家意思として妥当する統治の形態と定義するなら、天皇親裁をもって国家意思決定とする近代天皇制のシステムは、一貫して専制君主制であった(p.273)。

 安田浩は、おおむね近代天皇制を「専制君主制」として評価している。
 もっとも同書では、近代天皇制を「絶対君主制の一つとは考えておらず、むしろ近代的専制の一つの形態として捉えて」おり、むしろ「天皇自身を法源として憲法が制定され、それが憲法にも組み込まれているという問題は、直接には近代天皇制下の法観念の構造の問題として、日本で成立してくる『立憲主義』の特殊性の問題として取り扱わねばならない」とも指摘されている(pp.274-275)。
 その一方で安田は、この近代における天皇が「親政君主にして政治責任を問われることのない絶対的権威として出発」し、「専制君主としての政治的無責任性をまず内包していた」から、「立憲制が導入されても」それが変わらず、「君命に名をかりた政治責任の回避」などの事態も生じ、「“君臣もたれあいの構造”というべき壮大な無責任の体系が形成される」という「珍妙な」事態が生じたとも述べる(pp.277-278)。
 安田もまた、日本史における独自の政治的文脈に留意を払っているが、しかし近代天皇制に対する分析結果とその評価は全く異なっているようだ(注4)。

 また、仮に小林の天皇制評価が戦後日本に限定されたものであると解釈したとしても、それはそれで別の問題が残ることになる。なぜならば、小林の言う「共和主義」が「天皇制のもとで展開」してきたものであるとすると、戦後の天皇の存在に象徴的ないし文化的な機能性のみならず政治的な機能性をも認めていることになるからである。これが事実認識の問題であるならば理解できるが、小林が行っているのは事象の肯定的評価である。
 前著『友愛革命は可能か』で小林は、当時の天皇の会見問題をめぐる議論について、以下のように述べていた。

天皇を政治的に「利用」する主体が非民主主義的に成立した政権だったら、それは確かに、戦前のいくつかの内閣のように「天皇の政治利用」となり、深刻な意味を持つだろう。ところが、現在の内閣は、民意によって成立したわけだから、その内閣が天皇の会見に影響を与えたからといって、何が悪いのだろうか? この場合は、「天皇の政治利用」を指弾する側の方が天皇をいわば神聖化しているのであり、逆に内閣の方が主権在民の原理に基づいて天皇制のルールを変更しているのである。(p.206)

 私はかつて、小林は、議会における権力闘争の道具として天皇を用いることは「天皇の政治利用」として問題視しているが、天皇が象徴的権能を行使することについては全く問題視していないと指摘した。また、そのことに対し、「この論法によるならば、より天皇の政治的機能を強めるような改革も、『民意によって成立』した内閣が、現行憲法の解釈自体を変えつつ行うならば、問題がないことになる」ため、それが「極めて危うい論理構造」であると批判した。
 だが小林正弥は、この論理に従い、そのさらに先に踏み出してしまったようだ。いまや小林の論理は、議会政治に対して天皇が何らかの政治的機能を持ちえてきたこと自体を肯定的に評価するようになっている。日本の「共和主義」(もはや小林の議論においてこの用語は「議会制」程度の意味しか持っていないと見ていいだろう)が「天皇制のもとで展開してきた」と述べているということは、この二者の歴史的に不可分な影響関係について記述しているに等しい。
 普通ならばここで、日本の政体を「共和主義」と論ずることを諦めるところだろうが、ところが小林はここで「近世的共和主義」なる概念を作り上げ、自らの「公共哲学」の内部に天皇制を肯定的に位置づけることを試みているのである。小林正弥は着々と、だがこれまでに類例を見ない天皇制の肯定的評価者として自己を確立しつつある。



(注3)このロジックを用いると、たとえば日本の中・近世社会にも、既に支配階級とは異なる合議の共同体が存在することがあったわけだから、これらの時代も共和制であったと位置づけることも可能になるだろう。今のところ小林は、明治維新の「英雄」にしか興味がなく、マルクス主義歴史学が彼らに冷淡なことへの不満を表明するに留まっている。だが、むしろ小林は、左派の歴史家たちこそが注目してきた民衆の闘争と共同体に目を向けることによって、皇紀2千6百有余年、連綿として共和主義であった日本を見出すことができるだろう。なにしろ聖徳太子も彼の公共哲学の内部に、既に位置づけられているのだから。

(注4)なお安田浩は、小林正弥と同じ千葉大学で、日本近代政治史を専門として教授職をつとめている。おそらく千葉大学で日本における憲法の歴史の研究でも専攻すれば、小林・安田両教員に、同時に論文指導を仰ぐことも可能になるのではないだろうか。もっとも学生にとっては辛い経験になるかもしれないが。

これからの「共和主義」の話をしよう ―小林正弥とともに、鳩山由紀夫は抜きで―(1)

 先だって取り上げた小林正弥が、鳩山由紀夫の退陣に前後して、吸着対象を変更している。『これからの「正義」の話をしよう』の著者、マイケル・サンデルである。もちろん氏の専門である「公共哲学」の分野では以前から注目されていたのだろう。しかし、小林の著書『サンデルの政治哲学 <正義>とは何か』(平凡社新書、2010年12月)によれば、昨年4月から6月にかけてサンデルの講義がテレビ放送され、合わせて5月に『これからの「正義」の話をしよう』が刊行されたことで、予想していなかったブームが起こったとしているので、氏は鳩山退陣とその後の更なる凋落につきあうことなく、そして自らの鳩山讃美に何らの責任をとることもなく、次なる段階へ進むことができたわけである。
 以降、小林正弥は年末までに、自著も含めて5冊(上下巻含む)もの関連書籍に名前を連ね(注1)、サンデル・ブームを自ら「戦後日本の歴史に残る文化的現象」(p.9)と、氏らしい気宇壮大な表現で、高く評価している。
 確かにこれはある意味で、「戦後日本の歴史に残る文化的現象」であるかもしれない。ただし、小林が述べるような「知と美徳のルネッサンスへ」(p.38)というような現象としてではなく、むしろその空疎さと狭隘さによってである。たとえば小林は、サンデルの講義の視聴者のうち、コミュニケーション不全を自認する人々からも相談を受けたというエピソードを披露している(pp.34-35)。こうした人々が抱える悩みはそれぞれに深刻なものであろう。だが、それが小林の進めているスピリチュアリズムへの傾倒などの、自己啓発的な路線によって解決されるとは、とても思えない。これについては以前の拙稿を参照されたい。

 さて、当通信でももう少し早く、小林正弥とサンデルについて論ずるつもりであったのだが、『サンデルの政治哲学』の発刊から3ヶ月が経過してしまい、どうも初動が遅れた感が出てしまった。これは本年初頭から私事が立て込んでいたのもあるのだが、それに加えてこの「戦後日本の歴史に残る文化的現象」が思いもよらぬ障害になったからである。サンデルの著書を図書館で借りられなかったのだ。なにしろ予約件数が常に20件近くあり、話題の本だからといって何十冊も購入するようなことのできない市立図書館程度では、いつになったら順番が回ってくるのか分からない状況である。当初この「戦後日本の歴史に残る文化的現象」を甘く見ていた私は、年が明ければ普通に読めるようになるだろうと思って、『サンデルの政治哲学』を入手した昨年12月の時点で予約を入れなかった。だが、いつまでたっても予約件数は減らず、2011年3月現在、未だにサンデルの著書を読めていない。まさに「戦後日本の歴史に残る文化的現象」恐るべし、であった。

 しかしいつまでもこの話を放置しておくわけにもいかない。やむを得ないので、本稿ではサンデルの評価には一切立ち入らない。ただ、サンデルの議論を紹介しながら、小林がいかに、極めて独自性の強いユニークな議論を日本における「公共哲学」の観点から展開しているかについてのみ論ずることとする。
 ただし、『サンデルの政治哲学』はほとんどがサンデルの議論の紹介にあてられているため、小林正弥自身の議論は一部に限定されていて、前著『友愛革命は可能か 公共哲学から考える』のように、エンターテイメント性に富んだ見解が頻出するわけではない。だがその分、時おりわずかにこぼれ落ちる氏独自の議論には、その分量にもかかわらず、なかなか味わい深いものがある。

 たとえば小林は、日本の公共哲学プロジェクトの中で、自身が「地球的コミュニタリアニズム」ないし「グローカル・コミュニタリアニズム」を提唱しているのに対し、サンデルも多元的アイデンティティや主権の分散を主張している点で共通しているが、地球的アイデンティティには慎重であるので、若干の相違があると述べている(p.340)。だが、小林正弥の展開するような「地球的コミュニタリアニズム」に、サンデルが慎重なのだとしたら、それはこのハーバードの政治学者の学究生命にとって、むしろ幸いなことであろう。

 また、思いもかけぬ比喩が唐突に飛び出すのも衝撃的である。小林は、生命倫理についてのサンデルの見解を紹介した後で、おもむろに『スター・ウォーズ』と『機動戦士ガンダム』を持ち出してくる(p.235)。前者については「クローン兵士が登場する」、後者については「通常の人間(ナチュラル)と優れた能力を持つ人間(コーディネーター)たちが対立して宇宙的な戦争が起きる」と記述しているので、それぞれ『クローン・ウォーズ』シリーズと、『ガンダムSEED』シリーズでも見たのかもしれない。
 そう言えばかつて『非戦の哲学』では息子とともに見たという『ウルトラマンコスモス』について随分と好意的に語っていた。氏のサブカルチャー受容には、家族の影響が顕著なのだろう。ウルトラマンを見ていた息子が、そのままガンダムやスター・ウォーズの視聴者に移行するというのは実にありそうな話である。もちろんそのこと自体は悪いことではない。
 ところで小林は、現代日本のテレビ放送について「お笑い番組やスポーツ番組が主流になっており、知的なことや真剣な哲学的問題とは関係のない番組がほとんど」な「大衆社会状況」にあり、それが逆にサンデルの講義を「知的なオアシス」として「知的興味を持った方々」を引き込んだのだと説明している(pp.15-16)。娯楽番組すなわち低俗と言いたげな態度には驚かされるが(注2)、しかしそうすると、自分の家族と一緒にテレビ番組に入れ込み、時に軽々しく、しかも嬉々としてそれを引用してみせる自分の行動は、彼にとっての意味で「知的」なものなのだろうか、それとも「大衆」のそれなのだろうかという疑問が浮かぶ。
 断っておくが、別段私はアニメ番組を蔑視しているわけではない。必要ならば必要なところで引用すればよい。ただしそこでは、文献を引用するときと同じように真摯な分析と検討が求められるのであって、分かりやすいだろうと考えて安易に用いるのは、制作者や視聴者にとっても礼を失しているし、また自分の雑駁な文化観を披瀝しているという意味では非常に恥ずべきことである。「大衆社会状況」などといって、現代テレビ文化を「知的」なものと二分し、大衆を馬鹿にしている場合ではない。そもそも小林は、サンデルがガンダムと同じように、文化商品として流通し、また消費されている可能性を考えていないのだろうか?



(注1)なお、本稿は小林およびサンデルの著書を宣伝するのが目的ではないのでリンクは貼らない。興味をもたれた方は各自、適当な書誌検索を使って調べてみて欲しい。

(注2)確かに日本のメディア状況は大変に低俗であると思うが、それはジャンルに起因する問題ではない。総じて低俗なのは、むしろそのナラティヴである。

ある「友愛革命」論者の政治哲学から―小林正弥・著『友愛革命は可能か 公共哲学から考える』をめぐって(4)

 では最後に、小林氏のこのような政治的プログラムとさえ言えないような提言が、鳩山政権の実際的諸施策のいかなる評価に繋がるのかを確認したい。私は冒頭で、小林氏がまるで極右が訴えるステレオタイプ化された左派のようだと述べたが、これらの問題についても概ね同様である。

 以下にあげる小林氏の諸見解は、一見して、二大政党政治という制度下における効果的な働きかけのための現実的方策、戦略的な漸進主義に見えるかもしれない。小林氏も、おそらくそのつもりでいるだろう。だが実際には、多くの議論は牽強付会で詭弁じみており、論者の解釈次第で、いかなる体制でも擁護できる質のものである。これは限定的な機会主義といってもいい。限定的というのは、こうした議論をなす人びとが他政党に対してはそうした態度をとらず、民主党に対してのみ、それを行うからである。これは明らかにダブルスタンダードである。これらの人々の、鳩山政権に対する過剰な好意と思い入れは、常軌を逸したイデオロギッシュな判断によるものであり、一定層を越え出る支持は得がたい性質のものだろう。具体的に小林氏の発言を確認していこう。

 まず、いわゆる「政治と金」をめぐる問題については、鳩山に同情的で、小沢にはやや(本当にやや)批判的である(注22)。氏によれば、鳩山の献金問題については「法律違反」と「政治腐敗」を区別すべきであり、鳩山のそれは「さほど公共的な害はなしていない」から「深刻な政治問題ではない」ということになる。公人の「法律違反」は「公共的な害」には当たらないようだ。また、小沢については、小林氏が批判している政治的恩顧主義の残滓が感じられるので問題であるが、首相の問題とは分けて考えるべきであり、また検察の「不適切な権力行使」があるならば問題だと述べている。
 氏によれば、戦前の二大政党制は民主的選挙による政権交代こそ実現していなかったが、それさえも互いの腐敗を攻撃し合うことで政治的幻滅感を広げ、ファシズムの台頭を許してしまったのであり、「政党政治への信頼を失わせない」ことが重視されている(注23)。また、「革命の進行過程においては、常に反革命の嵐が巻き起こるのであり」「フランス革命にしても、革命の闘士がみな清廉潔白であったわけではない。保守系メディアをはじめとする連日の政権批判の陰には、友愛革命の進行を妨げようとする反革命勢力の蠢動を感じる」と、陰謀論へ足を踏み入れている(注24)。
 しかし、ことの是非はおいても、政党政治への信頼など、「無党派」層の数を見れば既に失われていると考えた方がよいのではないだろうか。実際、氏もさすがに政権交代は麻生太郎と自民党への失望によるものだと認めている(注25)。とすると、氏はなんのために鳩山および小沢への批判の矛先を鈍らせようとしているのだろうか。やはり、鳩山内閣が長期化しなければ「友愛」の言論市場における価値が暴落してしまうからだろうか(注26)。私には逆効果に思えるのだが。

 「天皇の政治利用」問題についても、「政権交代が開いた政党政治への幻滅を誘うのではないか」という見解は共通している。小林氏は、天皇自身が意思を実現しようとしたり、あるいは非民主的に成立した政権が天皇を利用したりするならば深刻な事態だが、現政権は民意によって成立しているので、天皇制のルールを変えることには何の問題も無いと言いきっている。この論法によるならば、より天皇の政治的機能を強めるような改革も、「民意によって成立」した内閣が、現行憲法の解釈自体を変えつつ行うならば、問題がないことになる。極めて危うい論理構造なのだが、小林氏はむしろ小沢の言動も、「天皇を神聖化する」ような「精神構造の呪縛から解き放たれる」ための「前進」と捉えている(注27)。呪縛から解き放たれたいならば、天皇制を廃止すれば良いとおもうのだが、先述したとおり、小林氏はそのような議論は採らない。むしろ、天皇を京都に「還幸」すれば、政治権力とも距離が出来て、政治利用の危機も、中国や韓国による日本がファシズム化するのではないかという危惧も減少するだろうという。どうやら氏にとって「天皇の政治利用」とは、具体的に天皇が政治に口を出すことであって、象徴的権能を行使することは全く問題ではないらしい。これは氏がスピリチュアルな絶対的超越性を重視していることと無関係ではないだろう。

 次に、外交政策については、東アジア共同体を志向することで、日米同盟の比重を相対的に小さくすることを訴えている。そしてアメリカが展開する軍事活動に常に追従しないために、短期的目標として「日米安保体制をその元々の姿に戻すことを目指すべき」だという(注28)。どういうことかといえば、なかなかに衝撃的であるが、日米安保体制は日本が米軍に基地用地を提供する代わりに本土を防衛してもらうというものだったのだから、その後の米日軍事活動の一体化を解消するためにも、その段階に戻せというのである。このような要求を現在のアメリカに呑ませるよりは、むしろ米軍基地の総撤退を実現する方がずっと現実的に思える。しかも、ここでは日米の軍事的一体化が中国や朝鮮にとっての脅威ともなるので、それを解消せねばならないと言っているのだが、そもそも米軍基地があること自体が脅威なのではないだろうか。米軍基地を置くのは米日の軍事一体化ではないのだろうか。そして、当面の基地用地はどこに提供しろというつもりなのだろうか。
 また、自衛隊については、彼の「墨守・非攻」の憲法解釈では「合憲」ということになるようだ。しかし中期的な課題としては「国土警備・災害救助・国際協力」の三つの隊に分割し「平和隊に改組」することを訴えている。これは氏も認めるとおり、新党日本の主張に近い。一方で、鳩山が提案したという「自衛艦にNGOの人びとなどを乗せて紛争・災害地域で医療援助活動をする」という「友愛ボート」構想を発展させ、「国際的に平和的な活動を行う「地球的友愛隊」を創設したらどうだろか」とも述べている。どれも言い方を変えればよいというものではないだろうが、特に鳩山の構想は、日本のNGOが自発的に、軍民一体となって世界的に展開していく姿を容易に思い浮かべることができて、なかなか無気味である。

 永住外国人の地方参政権については、「ローカルな友愛という観点からみて望ましい」そうである(注29)。ここは明らかに言葉すくなで、すぐに議論を多文化主義一般へと移している。あまり興味が無いのかもしれない。もっとも歴史的な制度の経緯に関心がないのならば、それは必然的な結果である。おそらく小林氏は、仮に現政権下で外国人参政権に何らかの形で限定がついて実現した際でも、その性格を問わず「限定があるのは残念だが大きな一歩だ」という認識を示して、体系的な批判の必要性を一切認めないだろう。小林氏の議論は相当に突飛な点が多いが、その心性は現代日本のリベラル派と共通している。

 このほかにも問題と思われる発言は多々あるのだが、逐語的に議論していっても仕方がないのでこの辺りで切り上げる。実のところ、小林氏の議論を個別に批判し続けても、あまり意味がないのだ。多くの見解は、ちょっとした思いつきのようなものであって、深く考えて導かれたものではなく、鳩山政権ないしはそれを継承した民主党中心の内閣を取り巻く状況が変われば、また違う見解がすぐに飛び出してくるであろう。先に、限定的な機会主義と評したのは、そういう意味である。
 私が本稿で延々と小林氏の議論について批判を加えてきたのは、幾度か指摘したように、その特異な発想にもかかわらず、氏の議論が現代的なリベラル派の病理を共有したものであると考えたからだ。もちろん、民主党支持者が皆、小林氏のような「神がかり」なものなので良くない、というようなラベリングをしたいのではない。そういう人も少なからずいるかもしれないが、彼らが、これから巨大な支持を得て勢力を伸ばしていくようになることは、おそらく無いだろう。小林氏のような議論は、ある程度の需要はあっても、広範な支持を集めるには、あまりに神秘主義的で、しかもあまりに詭弁に過ぎる点が多いからである。

 しかしながら、小林氏を支持しない人々の間でも、主観的な漸進主義を奉じ、社会的変革に先だって内面の変革を唱える秘教的な発想は概ね共有されているように思える。この問題については、また他の具体的事例をもってさらに論じられねばなるまい。
 私はなにも、内面の問題が重大ではないと考えているわけではない。私自身は、神的な存在に最終的審理を預けるようなことはしたくないと考えているため、宗教者とは相容れない部分もある。しかし、信仰によって、少なくとも主観的に救われる人間がいることは否定しないし、また、宗教がそのような役割を果たしうることも否定していない。イデオロギーは物理的な現象と相補関係にあると考えているから、厳密には唯物論者ではないことになる。
 であるからこそ私は、内面の曖昧さに基づいた、主観的な「善良さ」のみの社会運動には反対する。小林氏の議論に顕著に表れているように、スピリチュアルで非歴史的(マルクス主義については清算主義的ですらある)な発想に基づく政治論は、すべて蒙昧で不誠実なものに終わるだろう。そうした見解は、中長期的にはむしろ政治的幻滅をもたらすことになる。皆がめいめいに好きな側面を見出せる曖昧な政治は、同時に皆が幻滅を味わう場所ともなる。小林氏のいう「友愛革命」は決して成就しない。従って「友愛革命」論者はいつまでも理想主義者として振舞うことができる。しかし人々がそれを聞き続けるとは限らない。より深い幻滅に囚われた人々が、あらゆる政治的変革の可能性を否定し、現状をシニカルに肯定するようになるならば、「前進」など二度と到来しないだろう。



(注22)では民主党で小沢が隠然たる権力を握っていることについてはどう説明されるのかといえば、ここで小林氏はなんと、「聖徳太子と蘇我馬子の関係を思い出す」のだという。「当時の実権は蘇我馬子が握っていたが、聖徳太子はその支持のもとで可能な限りの理想主義的政策を実現させた。同じようなことを鳩山首相には期待したい」(211頁)。これまた恐ろしく雑駁なたとえである。仮にも社会科学者が歴史的事象を引用するならば、もっと精緻な議論が必要だと思うのだが、これもスピリチュアリズムが持つ非歴史的傾向の表れだろうか。あるいは小林氏の思考は、もとからこのような傾向が強く、それがスピリチュアリズムと非常に親和的であっただけなのかもしれない。
(注23)『友愛革命は可能か』169-170頁。
(注24)ここでフランス革命を持ち出しはしても、決してロシア革命は持ち出さない態度だけは首尾一貫している。しかし全体の論理は、より御都合主義的になった。
(注25)『友愛革命は可能か』16頁。
(注26)だが、本書に登場する「友愛」タームの膨大さを考えると、小林氏は自分で「友愛」概念のインフレーションを招いているとしか思えない。適当にページをめくりなおしただけでも、「友愛革命」から始まって、「友愛政治」、「友愛経済」、「日本友愛大革命」、「友愛世界運動」、「友愛共和主義」、「友愛構造改革」、「友愛平和公共国」、「日米友愛連合」、「友愛環境主義」、「友愛福祉」、「地球的友愛税」、「友愛賢人会議」そして「友愛公共哲学」ならびに「友愛公共フォーラム」(2010年2月に発足したらしい)など、「友愛」のバーゲンセールといった感がある。ほとんど「友愛」をつけただけではないかとさえ思える。しかし政治哲学とは本来このようなものではないのではなかろうか。
(注27)『友愛革命は可能か』204-208頁。
(注28)以下、外交・軍事については『友愛革命は可能か』213-221頁より。
(注29)『友愛革命は可能か』201頁。
プロフィール

zentaitsushinsya

Author:zentaitsushinsya

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。