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これからの「共和主義」の話をしよう ―小林正弥とともに、鳩山由紀夫は抜きで―(1)

 先だって取り上げた小林正弥が、鳩山由紀夫の退陣に前後して、吸着対象を変更している。『これからの「正義」の話をしよう』の著者、マイケル・サンデルである。もちろん氏の専門である「公共哲学」の分野では以前から注目されていたのだろう。しかし、小林の著書『サンデルの政治哲学 <正義>とは何か』(平凡社新書、2010年12月)によれば、昨年4月から6月にかけてサンデルの講義がテレビ放送され、合わせて5月に『これからの「正義」の話をしよう』が刊行されたことで、予想していなかったブームが起こったとしているので、氏は鳩山退陣とその後の更なる凋落につきあうことなく、そして自らの鳩山讃美に何らの責任をとることもなく、次なる段階へ進むことができたわけである。
 以降、小林正弥は年末までに、自著も含めて5冊(上下巻含む)もの関連書籍に名前を連ね(注1)、サンデル・ブームを自ら「戦後日本の歴史に残る文化的現象」(p.9)と、氏らしい気宇壮大な表現で、高く評価している。
 確かにこれはある意味で、「戦後日本の歴史に残る文化的現象」であるかもしれない。ただし、小林が述べるような「知と美徳のルネッサンスへ」(p.38)というような現象としてではなく、むしろその空疎さと狭隘さによってである。たとえば小林は、サンデルの講義の視聴者のうち、コミュニケーション不全を自認する人々からも相談を受けたというエピソードを披露している(pp.34-35)。こうした人々が抱える悩みはそれぞれに深刻なものであろう。だが、それが小林の進めているスピリチュアリズムへの傾倒などの、自己啓発的な路線によって解決されるとは、とても思えない。これについては以前の拙稿を参照されたい。

 さて、当通信でももう少し早く、小林正弥とサンデルについて論ずるつもりであったのだが、『サンデルの政治哲学』の発刊から3ヶ月が経過してしまい、どうも初動が遅れた感が出てしまった。これは本年初頭から私事が立て込んでいたのもあるのだが、それに加えてこの「戦後日本の歴史に残る文化的現象」が思いもよらぬ障害になったからである。サンデルの著書を図書館で借りられなかったのだ。なにしろ予約件数が常に20件近くあり、話題の本だからといって何十冊も購入するようなことのできない市立図書館程度では、いつになったら順番が回ってくるのか分からない状況である。当初この「戦後日本の歴史に残る文化的現象」を甘く見ていた私は、年が明ければ普通に読めるようになるだろうと思って、『サンデルの政治哲学』を入手した昨年12月の時点で予約を入れなかった。だが、いつまでたっても予約件数は減らず、2011年3月現在、未だにサンデルの著書を読めていない。まさに「戦後日本の歴史に残る文化的現象」恐るべし、であった。

 しかしいつまでもこの話を放置しておくわけにもいかない。やむを得ないので、本稿ではサンデルの評価には一切立ち入らない。ただ、サンデルの議論を紹介しながら、小林がいかに、極めて独自性の強いユニークな議論を日本における「公共哲学」の観点から展開しているかについてのみ論ずることとする。
 ただし、『サンデルの政治哲学』はほとんどがサンデルの議論の紹介にあてられているため、小林正弥自身の議論は一部に限定されていて、前著『友愛革命は可能か 公共哲学から考える』のように、エンターテイメント性に富んだ見解が頻出するわけではない。だがその分、時おりわずかにこぼれ落ちる氏独自の議論には、その分量にもかかわらず、なかなか味わい深いものがある。

 たとえば小林は、日本の公共哲学プロジェクトの中で、自身が「地球的コミュニタリアニズム」ないし「グローカル・コミュニタリアニズム」を提唱しているのに対し、サンデルも多元的アイデンティティや主権の分散を主張している点で共通しているが、地球的アイデンティティには慎重であるので、若干の相違があると述べている(p.340)。だが、小林正弥の展開するような「地球的コミュニタリアニズム」に、サンデルが慎重なのだとしたら、それはこのハーバードの政治学者の学究生命にとって、むしろ幸いなことであろう。

 また、思いもかけぬ比喩が唐突に飛び出すのも衝撃的である。小林は、生命倫理についてのサンデルの見解を紹介した後で、おもむろに『スター・ウォーズ』と『機動戦士ガンダム』を持ち出してくる(p.235)。前者については「クローン兵士が登場する」、後者については「通常の人間(ナチュラル)と優れた能力を持つ人間(コーディネーター)たちが対立して宇宙的な戦争が起きる」と記述しているので、それぞれ『クローン・ウォーズ』シリーズと、『ガンダムSEED』シリーズでも見たのかもしれない。
 そう言えばかつて『非戦の哲学』では息子とともに見たという『ウルトラマンコスモス』について随分と好意的に語っていた。氏のサブカルチャー受容には、家族の影響が顕著なのだろう。ウルトラマンを見ていた息子が、そのままガンダムやスター・ウォーズの視聴者に移行するというのは実にありそうな話である。もちろんそのこと自体は悪いことではない。
 ところで小林は、現代日本のテレビ放送について「お笑い番組やスポーツ番組が主流になっており、知的なことや真剣な哲学的問題とは関係のない番組がほとんど」な「大衆社会状況」にあり、それが逆にサンデルの講義を「知的なオアシス」として「知的興味を持った方々」を引き込んだのだと説明している(pp.15-16)。娯楽番組すなわち低俗と言いたげな態度には驚かされるが(注2)、しかしそうすると、自分の家族と一緒にテレビ番組に入れ込み、時に軽々しく、しかも嬉々としてそれを引用してみせる自分の行動は、彼にとっての意味で「知的」なものなのだろうか、それとも「大衆」のそれなのだろうかという疑問が浮かぶ。
 断っておくが、別段私はアニメ番組を蔑視しているわけではない。必要ならば必要なところで引用すればよい。ただしそこでは、文献を引用するときと同じように真摯な分析と検討が求められるのであって、分かりやすいだろうと考えて安易に用いるのは、制作者や視聴者にとっても礼を失しているし、また自分の雑駁な文化観を披瀝しているという意味では非常に恥ずべきことである。「大衆社会状況」などといって、現代テレビ文化を「知的」なものと二分し、大衆を馬鹿にしている場合ではない。そもそも小林は、サンデルがガンダムと同じように、文化商品として流通し、また消費されている可能性を考えていないのだろうか?



(注1)なお、本稿は小林およびサンデルの著書を宣伝するのが目的ではないのでリンクは貼らない。興味をもたれた方は各自、適当な書誌検索を使って調べてみて欲しい。

(注2)確かに日本のメディア状況は大変に低俗であると思うが、それはジャンルに起因する問題ではない。総じて低俗なのは、むしろそのナラティヴである。
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